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桜の季節に思う。


嬉しさと気負いが入り混じった表情の 袴姿の若い女性。その横で、やっぱり嬉しそうで、でも、どこか 心配そうに 寄り添う お母さん。よく、ここまで育ってくれたね、という思いと、これからはこれまでと違うのよ、って思いなんかが 交錯しているのかな。

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学生と社会人の大きな違いの一つは、気が合わない人とも“うまく”やらなければならないということだ。これは、本当に難しい。例えば、会社。特に日本企業は 社風になじまないと、“浮く”だけでは済まず、評価されずに“沈む”ことが多い。反面、染まれば染まったで、(組織、上司、仕事のやり方などが 緩い場合)自分が沈んでいく気がする …なんてジレンマと戦っている人は 少なくないだろう。そして、葛藤があるうちは、まだ良い。最も怖いのは、沈みゆく己に気づかぬまま、月日が経っていくことだ。

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浮力を保つために、こんなことが大切なのではないだろうか。思いつくところで、三つあげてみたい。一つは、自分の経験が 通用しないところに 身を置くことである。例えば、ある業務のオペレーションに長けていても、それは慣れでできているだけ、ということは多い。慣れと能力は違う。場を変えても再現できることを能力と言う。二つ目は、他人との対比である。まったく畑が違う人や 年齢が違う人との会話などを通じて。そこで大切なのは、どちらが上か下か、ということに 意識を向けないことだ。そこに重きを置くと、自己弁護の機能が働き、自分(特にウィークポイント)をきちんと見つめられない。三つ目は、自分の過去のレビューである。なぜ、あの様な行動をとったのか、発言をしたのか …その時の自分を取り巻く環境を含めて 振り返ったりすると、発見があったりする。特に 失敗経験は、その宝庫である。

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社会人になると、“せーの”の 卒業式はなくなる。形式的で、受動的で、画一的な儀式が終わり、質的に、主体的に、自分なりに そのときどきで区切りをつけていくことが大切になってくる。


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