パターン。
向こう側から牛の行列がやってきた時、その牛の顔を見て、尻尾がどんな形をしているのかを当てるのが“先見性”である。牛が通り過ぎた後で、現物の尻尾を言うのは誰でもできる。顔の形の特徴を見ながら、顔の形と尻尾の形の因果関係を見つけ出すのが、先見性だ。
日本サッカー・プロリーグの黎明期を支え、“ドーハの悲劇”の際、日本代表を率いていたハンス・オフト前監督は ご自身の著書(確か「日本サッカーの挑戦」と言う著書だったと思う)で こんな お話をされていた。
先見性 — これは勘ではなく、経験に基づいた科学である。最初は当たらないが、何度も繰り返すうちにわかるようになる、観察と検証によって学習できる、と。
オフト監督は“先見性”を リーダーに必要な能力としているが、優れた経営者や ある領域のプロフェッショナルのインタビューでも、同じような話を見聞きしたことがある。例えば、組織運営/仕事をしている中で 何かの兆候を感じ取ったとき、「これは どこかで 見たような景色だ」と言ったイメージが広がり、考え得るかぎりの最善の手を打つのだそうだ。
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この二日間、少しのんびりできる時間ができた。気が安らいだのも 手伝ったんだろう、映画をとめどなく観る合間、気がつけば、今年 …というか 今までの自分を振り返っていた。なぜ、あの時 あんな状態だったのか、あのような言動をしたのか。なぜ、あの人と付き合っていたのか、別れたのか、その当時 何が頭を占めていたのか… これらを結んでいくと、自分の パターンが 浮かび上がってくる。特に よく見えたのは、悪手。「こういった出方をしたから、後々になってダメージがあったんだろうな」ということへの 腹落ちである。
そして、ダメージを受けた当時の自分は、“現物の尻尾”を見ても尚、その通りの形にすら見えていなかったことに 今になって気づく。その理由は 視界が 歪んでいたから …自分に都合が悪いことに フタをしていたからである。
物事の因果律を読み解くレベルを高めていくためには、多様な経験を積むことはもちろんであるが、何よりも 自らの非も含めて 現状を明らかに視ようとするスタンスが must なんだろう。